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佐野陽子紹介

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佐野陽子 プロフィール

 
自然食品・雑貨の店 元氣界 ネットショップ担当

NPO法人日本ホリスティック医学協会認定
生活習慣病予防指導士 

 

 病弱すぎて心まで腐っていた子どもの頃

幼少の頃より体が弱く、保育園を1ヶ月まるごと休み、先生から「月謝をお返ししましょうか?」と言われるような子どもでした。

体のバランスが悪くよく転ぶので調べてもらうと、左側の骨が全体的に発育不良とのことでした。

気がつけば視力も弱く、小学校1年生の時にメガネを掛けて以来、ずっとメガネのお世話になる生活です。

最近は視力を測っていないので分かりませんが、中学生時代には、0.02まで視力が落ち込み、「このまま目が見えなくなるのでは?」と不安になったこともありました。

 

風邪を引くと治りにくく、風邪でも最低3日は休んで体力が回復してから
学校にいくような生活を送っていました。

体育の授業見学は当たり前で、プールの授業の時には、神経痛を理由に授業を休むこともたびたびあったのです。

貧血でいつも体は重くて、中学時代は学校から帰ると
必ず3時間くらいは昼寝をしないと体が回復しませんでした。

 

生理痛は特にひどく、体質が変わるまでの10年以上は、生理のたびにお腹をかきむしって、子宮を取り出して壁に投げつけたいほどの痛みと戦ってきたのです。

痛み止めも吐き気どめも、生理痛が始まると水以外は収まらないので飲むことができず、ひたすら痛みを我慢していました。

痛みが治まらなければ痛くても眠れず、痛みが治まれば疲れ果ててこんこんと眠り続けました。

 

他にもあげたらキリがないのですが、毎日何かしら不調を訴える体に、私の心は蝕まれていったのです。

何をするにも体が動かず、動かないでできる手芸のようなことでも、根気がないので最後まで仕上げることなどありませんでした。

難病というには元気に過ごし、健康児というには虚弱体質で、どっちつかずの体調は心も蝕んでいきました。

大きくなるに連れ、夢を求めて勉強をする友達を見ながら「どうせ私はこんな体では、やりたい仕事などできない」と、最初から諦め人生を投げていました。

友達が将来の夢を語る中、私は自分自身の将来が見えませんでした。
適当に働けたらいいので高校も就職率の良い場所を選んだほど、当時の私は毎日が「どうでも良い」と思っていたのです。

 

子どもを出産、これは無事といえるのだろうか?

 そんな私も30歳になり結婚、すぐに子どもはできたものの、1人目は妊娠8週間目に流産をしました。

主人も食事や生活に気をつけ、ゆっくりと過ごした半年後、幸運にも2人目を授かりました。
妊娠中は慢性的な貧血で、出産間際まで増血剤の点滴をしに、毎日病院に通っていたものの、助産院で産む許可もおりました。

ところが、いざ出産となった時に、私がいきむと140ある子どもの心拍数が
70に下がってしまうのです。

2回ほど心拍数が下がった時に、「3回心拍数が下がると、子どもの脳が傷む」という理由で総合病院へ救急搬送されてしまいました。

総合病院でお腹を押し出されて生まれた赤ちゃんは、会陰を切ったために血で真っ赤に汚れ、肺に入っている羊水を管で吸い出し、そのまま保育器に連れて行かれました。

 

私はといえば、大きく切った会陰の痛さよりも、押し出した時に傷めた尾てい骨が辛くて、座ることも立つこともできなかったのです。

それでも痛さをこらえ、赤ちゃんにおっぱいをあげなくてはいけません。

 退院してからは、赤ちゃんのオムツ替えや洗濯、沐浴など休んでいるヒマもありません。

妊婦さんによっては、会陰を切っても赤ちゃんが出てこなくて、帝王切開になった人もいると聞きます。

当時の私は、「その人よりは、まだマシだ」と自分に言い聞かせていました。

そうはいっても、尾てい骨を損傷している時の子育てと家事は、想像以上のものでした。

赤ちゃんが生まれて1か月後には元気に動き回れる産婦さんもいる中、私は尾てい骨の痛みが治るだけでも半年以上かかり、その間は寝かせると泣き出す子どもをオンブしながら家事をしたのです。

 

2人目は生後3ヶ月と1週間で入院

次の子は、2年10ヶ月後に生まれました。

1人目が3月の末に生まれれた子なので、今度は育てやすい5月生まれにしようと決めていました。

1人目の時に苦労した貧血も、知識と実践で数値はクリアしていました。

2人目の妊娠中も、早産の危険や膀胱炎、私自身の過呼吸など、いろいろと経験をしましたが、今度は助産院で陣痛に苦しむこともなく、理想の出産ができたと満足をしました。

ところが、生まれた子どもは感情を出さない子どもでした。

お腹が空いてもオムツが濡れても、数回泣くと泣き止んでしまいます。
嫌なことがあっても、グッとこらえて顔をそむけるだけでした。

今思えば、胎教に問題があったのだと思います。

しかも、3ヶ月と1週間たった日、高熱と咳を出して救急に行くとそのまま入院をさせられてしまったのです。

 

実は私もそうでした

実は私自身も、体の弱い母から生まれて来ました。

母は最初の子どもを流産後なかなか子どもができず、やっと生まれたのが私です。

私がお腹にいる時は、早産をしそうだったので薬で止めていたそうです。
しかし、いざ出産という時には、今度は子宮口が開かず、吸引器で吸い出されたと聞きました。

 

母も毎日体が辛かったようで、「40歳には死ぬ」と思っていたようです。
当時は死ぬまでに子どもを仕込まなくてはと、必死だったと後から聞きました。

残した子どもがどこへ行っても通用できるようにと、私はひと通りの家事やしつけを、子ども時代に教えこまれました。

 

しかし、それ以上に母を悩ませたのが私の体調でした。

無理をするとすぐに風邪をひき寝込んでしまう私を、どうにか健康にしたいと思っていたようです。

でも、栄養のつく食事を与えても医者に連れて行っても、良くなるどころか悪くなる一方だったのです。

母は、自分が死ぬと思っていた40歳の時に食事療法に出会いました。
そのお陰で、家族が健康になり、私も少しずつではあるものの、心身ともに良くなってきました。

時間はかかりましたが、無理をしなければ、風邪やインフルエンザには
かかることもなく過ごせる健康な体を、手に入れることができたのです。

 

子どもの立場からひと言

病弱だった子ども時代とあまり自慢できない妊娠、出産の両方を体験した立場だからこそ、私には親と子の互いの気持ちがよく分かります。

子どもが病弱なら、親が心配なのはあたりまえでしょう。
心配だけでなく、自由がなくなるためにストレスもかかります。

手もかかるし、医療費もかかるし、何より自分の時間を子どもの看病に使わなくてはいけません。

 

「何でこんなことになってしまったのだろう」

 

病弱な子どもを連れて遊びに行くこともできず、

やっと見つけた保育園も、子どもが熱を出したから迎えに来て欲しいと仕事場に電話が入ります。

途中で投げ出すことができない仕事を急いで片付けて、保育園に迎えに行くと「なんですぐに迎えに来れないのか」と、保育士から非難の言葉を浴びせられるのです。

 

親の立場から言えば、「私は一生懸命やっている」と叫びたくなることも何度もありました。

でも、子どもの立場で言わせてもらうと「なぜ、健康な体に産んでくれなかったのだろう」と思うのです。

 

自分が病弱なために親に迷惑をかけていることも、幼いながらに申し訳ないと思っていました。

本当は自立したい。
誰にも迷惑をかけずに生活をしたい。

でも、自立したくても体が動かない。

そんなできないもどかしさは、本人でなければ分かりません。

 

私は、そんな子どもたちを少しでも減らしたいと思い、健康な赤ちゃんを産むためのママの体を作る『ママから塾』を立ち上げました。

せっかく、この世に生まれてくる命です。

自分の思うとおりに、力いっぱい生きていける体力と精神力を持った人間を、あなたに育てて欲しいと本気で思っています。

今、私は2人の子どもを育てています。
自分の弱い心身を改善し、最近では肝っ玉も太くなりました。

『子育ては自分育て』

そんな言葉もありますが、あなたも一生をかけて人間育てのスキルを磨いてみませんか?

人生が終わる時、この上ないご褒美が手に入るはずです。

お問い合せはこちら TEL 054-624-4246 受付時間 9時~18時(土・日・祝日除く)

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